医療現場では、患者と医療者の間で認識の齟齬やコミュニケーション不全が生じることがあります。これらの問題は、医療の質や安全性に影響を及ぼし、場合によっては医療事故や紛争に発展する可能性があります。このような状況を改善するために、患者と医療者の対話を促進し、関係調整を支援する専門人材として「医療メディエーター(医療対話仲介者)」が注目されています。本記事では、医療メディエーターの定義、背景、役割、倫理について包括的に解説します。
医療メディエーターは、患者と医療者双方の語りを偏りなく受け止め、自身の見解や評価を示すことなく対話を促進する専門人材です。この役割は、医療事故後の対応や日常的な患者対応において、情報共有を進め、認知齟齬の予防と調整を支援します。重要なポイントとして、医療メディエーターは直接対話を促進し、判断・評価を行わず、解決ではなく関係構築を目標とすることが挙げられます。2012年には診療報酬加算(患者サポート体制充実加算)が設定され、医療現場での重要性が制度的にも認められています。
医療メディエーターの定義と誕生の背景
医療メディエーター(医療対話仲介者)は、患者と医療者双方の語りを、いずれにも偏らない位置で共感的に受け止め、自身の見解や評価・判断を示すことなく、当事者同士の対話の促進を通じて、情報共有を進め、認知齟齬(認知的コンフリクト)の予防と調整を支援する役割を担う人材です。この専門人材は、医療の基盤をなす対話促進のソフトウェアとして、医療行為の一部を構成します。
1999年から医療事故が社会問題化し、医療不信や医療崩壊が深刻化する中、従来の対立的な事故対応では問題が解決せず、むしろ怒りを増幅させてしまう構造的な問題がありました。2003年に医療機能評価機構の橋本理事から和田仁孝氏に対して、事故後の対応人材育成の依頼があり、和田仁孝氏と中西淑美氏によってプログラムが開発されました。2005年より医療機能評価機構にて人材育成が開始され(年3回)、ニーズの飛躍的増加を受けて2008年には日本医療メディエーター協会が設立されました。
現在では年間100回ほどの研修が開催され、当初は事故後の対応モデルとして開発されましたが、日常的な患者対応にも広く応用されています。さらに、海外での日本モデルの導入、救急への導入など、多様な展開が進んでいます。メディエーションは、アメリカやイギリスで学校や職場など様々な場面で活用されている対話促進のモデルであり、学校では子どもにも教えられています。医療の現場でも、終末期医療の意思決定、インフォームド・コンセント、日常診療の小さな問題修復など、さまざまな場面で応用されています。
メディエーションとは何か
メディエーションとは、メディエーターが当事者間の対話を促進することを通して、認知の変容を促し、納得のいく創造的な合意と関係再構築を支援するしくみです。メディエーターはあくまでも、当事者自身による自主的な合意形成を促進する役割で、「調停」のように「調停案」を提示したり、説得や評価をしたりしません。英米では、広く普及している、当事者のための対話と協調促進のモデルです。
狭義には、中立的な第三者機関での手続を意味しますが、英米では学校で子どもにも教えられるなど、日常的な問題克服のモデルを指す広い意味でも使われています。日本医療メディエーター協会では、この一般的な意味合いで、院内で患者さんと医療者の対話促進・関係再構築を支援するモデルを示す語として用いています。
院内医療メディエーター(医療対話仲介者)は、院内での苦情や事故後の初期対応の際に、メディエーションのモデルを援用して患者側と医療側の対話の橋渡しをする役割です。医療メディエーター(医療対話促進者)は、法律的な解決にはかかわりません。また、院内スタッフであるため、その活動は示談交渉のなかの対話促進の部分を担うことが中心となります。患者さんに寄り添い、医療機関の真摯な対応を促進するために、専門技法の習得と倫理性が要求されます。
医療メディエーションの4つのエッセンス
医療メディエーションには、4つの本質的な特徴があります。第一に、医療メディエーションは医療の基礎をなす対話と情報共有のモデルであり、医療行為の一部を構成します。これは単なる紛争解決の手段ではなく、医療そのものの質を高める重要な要素として位置づけられています。
第二に、医療メディエーションの主役は、当事者である患者と医療者です。メディエーターは当事者を尊重し、傾聴し、対話を促すだけで、評価や判断はしません。これは、ミルトン・メイヤロフが定義したケアの理念、すなわち「その人がその人自身であることを支えること」に基づいています。答えは第三者の中にあるのではなく、常に当事者自身の中にあるという考え方が根底にあります。
第三に、医療メディエーションの目標は「解決」ではなく、患者と医療者の関係構築です。法的権利・賠償等の紛争解決には関与せず、あくまで対話による関係性の再構築を支援します。メディエーターの目的は「つなぐこと」であって、「解決すること」ではありません。深い情報共有がなされ、関係が構築されていけば、自然に問題が克服されていく可能性が開けてきます。
第四に、医療メディエーターは構造的中立性ではなく、信頼に基づく不偏性を保ちます。院内医療メディエーターは病院職員であるため、中立性を標榜してはなりません。しかし、分け隔てのないケアの姿勢によって、患者側からも医療者側からも信頼される存在となることができます。事故や出来事に関わって傷ついているすべての人に対し、患者だけでなく医療者に対しても、同様のケア・マインドを持って接することが求められます。
医療メディエーターの4つの約束・行動倫理
医療メディエーターには、厳格な行動倫理が求められます。第一の約束は、伝言的仲介ではなく直接対話を促進させることです。患者と医療者が直接向き合う対話の場を設定し、対話を促進することがメディエーターの役割であり、患者の訴えを聴いて医療者に伝えたり、医療者の言い分を患者に伝えたりする間接的な仲介は、原則として行いません。
これは、当事者自身が問題を克服することを支援するケアの理念に基づいています。患者は医療者との直接の対話を求め、その対応によってこそ納得ができるのであって、医療メディエーターが医師や病院の代弁をしたのでは受け入れられるはずもありません。また、間接的な伝言仲介は、誤解や齟齬を生むリスクを何倍にも増やしますし、最悪の場合には情報操作のリスクさえあります。患者と医療者が直接向き合う場を創るため、間接的な伝言や代弁は控えるというのが医療メディエーターの第一の約束です。
第二の約束は、判断・評価・意見の表明や提案をしないことです。メディエーターは、あくまでも当事者の対話による問題克服を支援する役割ですから、自分の意見や見解の表明、評価や判断の提示などは決してしてはなりません。たとえば、事故原因の説明、改善案の提示、賠償や法的評価の提示などは、いっさい行ってはなりません。これらは、病院側の当事者である医師、事務担当者、顧問弁護士などがそれぞれ患者と向き合って説明するものであり、医療メディエーターは対話のいかなる場面でもこうした発言はしてはなりません。
その根拠は、第一に、そのような発言は当事者に何かをしてあげることになり、患者と医療者の当事者自身による問題克服を尊重するメディエーターのケアの理念に反することになります。第二に、医療メディエーターは病院の職員であるからこそ、そのような中身に踏み込んだ発言をしてはならないのです。そうした発言は、病院側に立つことになったり、患者側に立つことになったりして、いずれにしてもメディエーターの役割理念および不偏性を損なうことになります。第三に、患者側ないし医療者側に、そうした発言は友好的発言や敵対的発言であると認識されることになり、メディエーターへの信頼が失われ、メディエーションの場が崩れてしまうことになります。
第三の約束は、解決ではなく情報共有と関係構築を目的とすることです。これも、「問題を克服できるのは当事者だけである」というケアの理念に基づくメディエーターの役割理念から必然的に出てくることです。問題を克服していくこと、それは当事者が達成し決めることであって、メディエーターの目的ではありません。メディエーターが問題を解決しようなどと考えると、ついつい意見を表明したり、提案を行ったりして、メディエーターの理念に反してしまい、結果として対話が進まなくなってしまいます。医療メディエーションの目標は関係の再構築です。メディエーターの目的は「つなぐこと」であって、「解決すること」ではないのです。
メディエーターは、あくまでもケアの理念を基盤に、患者と医療者の情報共有による関係構築を支援することを目標と考えねばなりません。メディエーターの支援によって、深い情報共有がなされ、関係が構築されていけば、自然に、患者と医療者との間で、問題が克服されていく可能性が開けてくるはずです。直接、医療者に向き合い、そして真摯な対応を受けることで初めて、患者も問題を乗り越えていけるのだということを忘れてはなりません。メディエーターはあくまでも黒子の役割に徹しなければならないのです。
第四の約束は、分け隔てのないケアの姿勢で心を聴くことです。メディエーターは、分け隔てのないケアの姿勢を基礎としています。事故や出来事に関わって傷ついているすべての人、患者だけでなく事故に関わった医療者も含めて、分け隔てなくケアする姿勢が何よりも大切なのです。これがメディエーターの関わりに偏りのない姿勢という意味での不偏性をもたらします。この姿勢があれば、構造上は中立でなくとも、患者側との間でも、メディエーターへの信頼が構築され、第三者的な位置での支援のかかわりが受容されるようになります。
また、医療者側にも、同様のケア・マインドを持って接しなければなりません。メディエーターが患者側だけに共感的な対応をしていると、医療者側は閉じて防御的になってしまいます。事故に関わったり、苦情を向けられた医療者側に対してもケアの姿勢で共感的に受け止めていかねばならないのです。メディエーションの過程で、メディエーターは患者や医療者の「言葉でなく心を聴く」姿勢の中で、その深い想いを見つめ、互いに表層の対立の背景にある何かに気づくことを支援していくのです。
そのために、メディエーター自身、患者や医療者の深い想いに気づき、寄り添うセンスとマインドを身につけていなければなりません。そうした姿勢が身についたとき、はじめて「スキル(技法)」が「ウィル(姿勢)」の真の反映として表れてきます。マニュアル的な技術でなく、「姿勢」の発現としての「スキル」とは何かについて、適切な教育研修を受ける中で、メディエーターは体感的に理解し、その姿勢の涵養に努めなくてはなりません。そうした姿勢こそ医療メディエーターへの信頼の糧となるのです。
医療メディエーターの役割と実際の活動
医療メディエーターの役割は、患者と医療者が直接向き合う対話の場を創出し、チーム対応として支援することです。具体的な実務としては、まず事案の報告・要請を受けて、患者との「1対1」の対応を行います。次に医療者への対応、症例検討、確認を経て、メディエーションの設定・実施を行います。この際、出迎えからICレコーダーによる記録、文書の扱いなど、細かな配慮が求められます。
メディエーションの場では、バレーボールのセッターのような役割を担います。セッターがメディエーターであり、アタッカーが医療者側(医師・事務等)や患者側となります。メディエーターは、医療者に代わって患者対応する役割ではなく、あくまで対話を促進し支援する役割です。この過程では、病院上層部の理解、医学的判断検証・事故調査・真実開示との連携が必須の前提となります。
事後フォローアップも重要な役割です。翌日フォロー、週一フォローなど、継続的に向き合う姿勢を示すことが求められます。これは単なる形式的な対応ではなく、患者側に対して医療機関が真摯に向き合っていることを示す重要な機会となります。このような丁寧なフォローアップを通じて、信頼関係の再構築が促進されます。
この役割は、医療事故後の対応だけでなく、日常的な患者対応にも応用できます。管理者が現場での小さなクレームに対応する際、スタッフが患者のニーズを把握する際、職種間・スタッフ間の対話においても活用できます。例えば、ロンドンの病院では管理者全員がメディエーション研修を受講しており、自分の部署のスタッフの人間関係調整のために活用しています。医療メディエーションは、医療機関全体の対話文化を向上させ、コンフリクトの予防にも寄与します。
医療メディエーターは「資格」なのか
医療メディエーターは「資格」ではありません。メディエーションは、対話と問題克服のための汎用的な考え方であり、だれでも、いつでも、どこでも、活用できるモデルです。日本医療メディエーター協会の認定は、あくまでも、医療機関のスタッフを対象に、メディエーションについての「専門知識の理解」「専門技法の習得」と「倫理性の涵養」をめぐる研鑽の場の提供と、質の保証の仕組みたることを目的としています。
また、院内医療メディエーター認定が医療機関スタッフに限定されている理由は、弁護士法との関係があります。わが国の弁護士法は、弁護士以外の者が法律業務に従事することを禁じています(72条)。法律業務には、紛争解決業務が含まれます。したがって、第三者医療メディエーターとして、院外の者が医療事故紛争にかかわると、この弁護士法に抵触するおそれがあります。院内のスタッフが、メディエーション技法を応用しつつ、患者さんと医療者の関係再構築を支援する場合には、示談交渉の一変型ということになり、弁護士法との抵触の問題はなくなるからです。
一方、患者・市民の方が医療をめぐって関わる活動は、紛争・法律業務とはまったく異なります。日本医療メディエーター協会では、「患者・市民と創るメディエーション(PCM)」プロジェクトとして、いくつかの市民団体、患者団体と協働し、メディエーションの様々な場面での応用の可能性を模索しています。
診療報酬制度における位置づけと意義
医療メディエーターの重要性は、診療報酬制度でも認められています。2012年に「患者サポート体制充実加算」が新設され、医療機関が患者対応の専門部署を設置し、適切な研修を受けた職員を配置することが評価されるようになりました。この加算は、医療メディエーションの考え方を制度的に支援するものであり、医療現場での患者サポート体制の重要性を示しています。
患者サポート体制充実加算は、医療機関において、患者やその家族等からの医療安全等に係る相談に適切に応じる体制を評価するものです。この加算の設定により、医療機関は専門的な研修を受けた職員を配置し、患者と医療者の対話を促進する体制を整備することが推奨されています。これは、医療の質向上、患者満足度の向上、医療安全の強化につながる重要な取組です。
また、この加算の背景には、医療機関全体の対話文化の向上という目的があります。単に苦情対応の窓口を設置するだけでなく、メディエーションの考え方を取り入れることで、医療機関と患者・家族との信頼関係を構築し、より良い医療を提供することが期待されています。医療メディエーターは、この患者サポート体制の中核を担う専門人材として、重要な役割を果たしています。
医療メディエーターの導入効果と広がり
医療メディエーターの導入により、多面的な効果が期待できます。第一に、事故対応の専従者(医療対話推進者)として、医療事故や医療紛争の初期対応を適切に行うことができます。これにより、患者側の不安や怒りが増幅することを防ぎ、医療者側の負担も軽減されます。
第二に、病棟・診療科等の管理者が現場のトラブルを芽のうちに摘むことができます。小さな不満や誤解が大きな問題に発展する前に、対話を促進することで、早期の関係修復が可能になります。これは、医療の質向上だけでなく、医療者のストレス軽減にもつながります。
第三に、各スタッフレベルへの浸透により、コンフリクトの予防や日常のコミュニケーションの向上が実現します。メディエーションの考え方を学んだスタッフは、患者対応だけでなく、職種間・スタッフ間のコミュニケーションにもその技法を活用できます。これにより、病院全体の対話文化が向上し、働きやすい職場環境が実現します。
医療メディエーションの応用範囲は、医療事故対応だけにとどまりません。終末期医療の意思決定支援、インフォームド・コンセントの場面、日常診療での小さな問題の修復、救急医療における患者・家族への説明など、様々な場面で活用できます。さらに、海外でも日本モデルの導入が進んでおり、国際的にも注目されています。
まとめ
医療メディエーターは、患者と医療者の対話を促進し、関係調整を支援する専門人材として、現代の医療現場に不可欠な存在となっています。直接対話の促進、判断・評価を行わないこと、関係構築を目標とすること、分け隔てのないケアの姿勢という4つの原則に基づき、医療事故後の対応から日常的な患者対応まで幅広く活用されています。
重要なのは、医療メディエーターは「資格」ではなく、メディエーションという対話促進のモデルを実践する専門人材であるということです。誰でも学ぶことができ、医療現場の様々な場面で応用できる汎用性の高い考え方です。診療報酬制度でも患者サポート体制充実加算として評価され、医療機関の対話文化向上に大きく貢献しています。
患者中心の医療を実現し、医療の質と安全性を高めるために、医療メディエーターの役割は今後ますます重要になるでしょう。医療機関においては、専門的な研修を受けた医療メディエーターの配置と、メディエーションの考え方を取り入れた対話文化の醸成が求められています。
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