前回の記事では、医療メディエーターの定義、誕生の背景、4つのエッセンス、4つの約束・行動倫理について解説しました。医療メディエーターは、患者と医療者の対話を促進し、関係調整を支援する専門人材であり、直接対話の促進、判断・評価を行わないこと、関係構築を目標とすること、分け隔てのないケアの姿勢という原則に基づいて活動します。本記事では、さらに一歩進んで、医療メディエーションの実践に必要な理論と技法について詳しく解説します。
医療メディエーションを実践する上で、謝罪と共感表明の違いを理解することが重要です。また、問題解決メディエーションとナラティブメディエーションという2つの主要なモデルがあり、それぞれ異なる視点と技法を提供します。IPI分析は問題解決メディエーションの中核をなす分析手法であり、表面的な主張の背後にある真のニーズを理解するために活用されます。さらに、コンフリクトがどのように生成されるかを理解するNBCモデル、そしてコミュニケーションにおける誤解のメカニズムを学ぶことで、より効果的な対話促進が可能になります。
謝罪と共感表明の違いを理解する
医療現場では、患者に不利益が生じた際に「謝罪」が必要とされる場面があります。しかし、「謝罪」と「共感表明」は明確に区別する必要があります。この2つの概念を混同すると、適切な対応ができなくなる可能性があります。
責任承認としての謝罪は、自分に非があったと認める行為です。これは過失や責任を認めることを意味し、法的な含意を持つ場合があります。一方、共感表明は、不利益を受けた人への共感ケアであり、相手の苦痛や困難に対して寄り添う姿勢を示すものです。共感表明は責任の有無とは無関係に行うことができ、むしろすべてのケースで行うべきものです。
図式的に表すと、共感表明は大きな円であり、その中に責任承認としての謝罪という小さな円が含まれる関係になります。つまり、責任承認としての謝罪は共感表明の一部であり、共感表明の範囲の方が広いのです。医療メディエーターは、過失の有無が明確でない段階でも、患者や家族の苦痛に対して共感を示し、寄り添うことができます。
日本の裁判所は、謝罪をもって過失の証拠などにしないという立場を取っています。判例分析によれば、謝罪は慰謝料額の減額要素として機能しています。患者側にとっては共感表明は必要ですが、不用意な謝罪をすると紛争を誘発する可能性があります。医療側にとっては、謝罪の機会は重要であり、「当事者を患者側に前に出さない」という方針が適切かどうかを再考する必要があります。謝罪することは、当事者医療者にとっての救いにもなり、謝罪は配慮の相互交換という側面を持っています。
問題解決メディエーション:IPI分析による深層理解
問題解決メディエーションは、英米で行われるメディエーションの主流モデルです。このモデルの中核をなすのがIPI分析という手法であり、ハーバード・ロースクールのProgram on NegotiationにおけるFisher & Uryの”Getting to Yes”に基づいています。IPI分析は、表面的な対立の背後にある真のニーズを理解するための強力なツールです。
IPI分析の基本概念は、Issue(争点)、Position(ポジション)、Interest(インタレスト)の3つの層で構成されます。Positionは表面化した多様な対立点であり、事実主張、要求主張、感情などが含まれます。例えば、「注射の時に名前確認しなかった」「医者も患者を見に来ない」「あの看護師はやめさせろ」「院長に謝罪させろ」といった発言がPositionです。これらは患者側と医療側の間にある複数のIssue(争点)として整理されます。
一方、Interestは潜在した不可視の欲求であり、Positionの背後に隠れています。表面的な要求の裏には、より根源的なニーズや願いがあります。例えば、「入院を長引かせたくない」「身体への影響が心配で安心したい」「子どもの入学式に出席したい」といったものがInterestです。問題解決メディエーションでは、Positionに囚われず、Interestに注目することで、より創造的な解決の可能性が開けるという考え方を取ります。
IPI分析では、Positionを整理するためにFACE分類を活用します。これは、Fact(事実)、Angry(怒り)、Claim(要求)、Emotion(感情)の4つのカテゴリーです。Factは何をどう見ているのかを把握し、Angryは何が怒りの根源かを理解し、Claimは表層の要求に囚われないようデータと認識を分け、Emotionは深層のInterestに近いものとして捉えます。このように整理することで、表面的な対立の構造が明確になり、Interestを推測する手がかりが得られます。
問題解決メディエーションの標準的なステップは、4つの段階で構成されます。第一段階は主張の受容であり、主張の表出機会の提供と承認、感情の緩和を行います。第二段階は対話と再帰的思考であり、異なる視点との対話を通じて自身の視点を再帰的に自省します。第三段階は問題の再構築であり、Interestへの気づきとそれに即した課題の構築を行います。第四段階は創造的解決へ向けた段階であり、解決アイデアの自由な提起と調整を通じて解決を創造していきます。
ナラティブメディエーション:物語の書き換えによる関係調整
ナラティブメディエーションは、社会構成主義を理論基盤とするメディエーションモデルです。社会構成主義では、現実(Reality)は認知的に構成されると考えます。つまり、客観的な「真実」が一つ存在するのではなく、各人がナラティヴ(物語、現実を見る眼鏡)を通して「現実」を解釈し構成しているという考え方です。
ナラティヴは、経験、知識、世界観などの認知フレームを通して形成されます。例えば、医療者は医学教育という専門的な認知フレームを持ち、患者は日常生活の経験という認知フレームを持っています。同じ出来事(例えば医療事故)であっても、患者のナラティヴ世界と医療者のナラティヴ世界では、まったく異なる解釈がなされることになります。このナラティヴの違いこそが、コンフリクトの根源となります。
ナラティブメディエーションでは、対話を通してそれぞれの物語に変容を起こすことを目指します。対話とは、自身の物語と他者の物語の調整・融合のプロセスです。聴くことは物語の受容と承認であり、語ることは語りつつ物語を組み替えていくプロセスです。重要なのは、Interestも語りで構成されるため変容するという点です。固定したInterest概念を持たず、対話の中で当事者のニーズや願いが変化していくことを認めます。
ナラティブメディエーションのステップは、問題解決メディエーションとは異なります。固定したInterestを探すのではなく、自身の物語の相互変容を促すことがメディエーターの役割です。メディエーターは、当事者が自分の物語を語る場を提供し、他者の物語を聴く機会を創出し、その対話の中で両者の物語が少しずつ変容していくことを支援します。このモデルでは、IPI分析のような構造化された分析は用いません。
特に医療の死亡事例では、ナラティブメディエーションの視点が重要です。解決すべき人と切り離された課題があるのではなく、人の物語それ自体が課題となります。死を挟んで、医療側の対応が「○○の死の物語」を紡いでいくための重要な構成要素となります。メディエーションの役割は、その後の生を生きていく遺族にとっての「死の物語」が、少しでも和らいだ物語になるような対話を促すこと、つまり物語の構築過程そのものを支援することです。
コンフリクトの生成モデル:NBCモデルの理解
コンフリクトがどのように生成されるかを理解することは、予防と早期対応のために重要です。コンフリクトの生成モデルは、Naming(ネーミング)、Blaming(ブレーミング)、Claiming(クレーミング)の3段階で説明できます。このNBCモデルを理解することで、コンフリクトの各段階に応じた適切な対応が可能になります。
第一段階のNaming(問題の認知)は、何かがおかしいと感じ、それに名前をつける段階です。患者や家族が「何か変だ」「これはおかしい」と感じることから始まります。この段階では、まだ問題が明確に定義されていない状態ですが、非日常的な状況に対する混乱や不安が生じています。医療者は、この段階での患者・家族の疑問や不安に丁寧に対応することで、コンフリクトの拡大を防ぐことができます。
第二段階のBlaming(帰責)は、問題の原因を誰かの責任と考える段階です。「あの看護師のせいだ」「医師の説明が不十分だった」など、問題の責任を特定の人や組織に帰属させます。この段階では、感情的な要素が強くなり、怒りや不信感が増大します。帰責は、自分の経験や知識に基づく解釈であり、必ずしも客観的な事実ではありません。この段階で適切な情報提供と共感的な対応を行うことが、コンフリクトの顕在化を防ぐ鍵となります。
第三段階のClaiming(対立の表出)は、要求や主張として対立が表面化する段階です。「謝罪しろ」「賠償しろ」「担当を変えろ」など、具体的な要求が示されます。この段階になると、コンフリクトは完全に顕在化し、公式な対応が必要になります。しかし、ここで示される表面的な要求(Position)の背後には、より深い感情やニーズ(Interest)があることを忘れてはなりません。
NBCモデルの重要な点は、コンフリクトが潜在段階から顕在化段階へと進行するプロセスを示していることです。早期の段階(NamingやBlaming)で適切に対応すれば、Claimingまで進行することを防げる可能性があります。また、Claiming段階に達しても、表面的な要求に即答するのではなく、背後にあるNamingやBlamingのレベルでの認識や感情を理解し、それに対応することが重要です。
コミュニケーションと誤解:AEIOUモデル
医療現場でのコミュニケーションには、常に誤解のリスクが伴います。特にコンフリクト状況では、情報が貧困になり、振舞いや言葉を表層だけで判断してしまう傾向があります。これが疑念や人格攻撃につながり、問題を悪化させます。コミュニケーションのパターンを理解することで、誤解を防ぎ、より効果的な対話が可能になります。
コミュニケーションのパターンは、AEIOUの5つに分類できます。Attacking(攻撃の語り)は、相手を非難したり責めたりする語り方です。Evading(回避の語り)は、問題から逃げたり、曖昧な表現で済ませようとする語り方です。Informing(説明・情報伝達)は、事実や情報を客観的に伝えようとする語り方です。Opening(心を開く語り)は、自分の感情や考えを率直に表現し、相手の話も受け入れる姿勢を示す語り方です。Uniting(情報共有促進の語り)は、共通の理解や目標に向けて協力的に対話する語り方です。
最も注意すべきは、InformingがAttackingに受け取られるリスクです。医療者は客観的に情報を伝えているつもりでも、患者や家族が感情モード(怒りや不安が強い状態)にあるときは、その説明が攻撃や言い訳と受け取られてしまうことがあります。これは、説明する側と聴く側の認知フレームが異なるために生じます。患者・家族が感情モードにあるときは、まず不安や不満を受け止め(Opening)、心を開いてもらってから情報提供(Informing)に移ることが重要です。
コンフリクト状況では、情報が貧困になるという特徴があります。トラブル時には、相手の振舞いや言葉を表層だけで判断してしまい、疑念や人格攻撃が生じやすくなります。したがって、情報共有の促進(Uniting)が非常に重要です。メディエーターは、双方が持っている情報を共有し、認識のギャップを埋めることで、誤解を解消し、対話を促進します。
また、表面的主張(Position)に対して即答せず、まず受け止めたうえで問いを返すことが重要です。これは、内容の受けとめではなく、感情の受けとめです。「それは大変でしたね」「ご心配ですよね」など、相手の感情を承認する言葉をかけることで、相手は自分が理解されていると感じ、より深い対話が可能になります。このようなコミュニケーションの技法を身につけることで、誤解を防ぎ、建設的な対話を促進できます。
2つのモデルの使い分けと統合
問題解決メディエーション(IPI分析)とナラティブメディエーションは、対立するものではなく、相補的な関係にあります。両者は異なる理論基盤と技法を持ちますが、実践においては状況に応じて使い分けたり、統合したりすることが可能です。
問題解決メディエーションは、具体的な問題解決が可能な場合に特に有効です。例えば、退院調整、治療方針の選択、費用の問題など、創造的な解決策を見出すことができる状況では、IPI分析によってPositionの背後にあるInterestを明確にし、双方のInterestを満たす創造的な解決を目指すことができます。このモデルは、構造化されたプロセスを提供するため、メディエーターにとって分かりやすく、初学者でも活用しやすいという利点があります。
一方、ナラティブメディエーションは、特に死亡事例や大きな身体的被害が生じた場合に適しています。これらのケースでは、全面的な創造的解決ができるとは言えず、根本的な解決は達成しえません(生命・身体を元に戻せないため)。しかし、対話を通じて物語を変容させることで、少しでも和らいだ物語を紡ぐことができます。また、小さなクレームでも、身体にかかわる深い解決困難なInterestが潜んでいることが多く、問題解決メディエーションのステップが適合しない場合もあります。
実践においては、まずIPI分析で状況を整理し、Positionの背後にあるInterestを探ることから始めることが多いです。しかし、その過程で、固定したInterestではなく、語りによって変容するニーズや願いがあることに気づいた場合は、ナラティブメディエーションの視点に移行します。あるいは、最初からナラティブメディエーションの姿勢で対話を促進しながら、必要に応じてIPI分析の視点を取り入れて状況を整理することもできます。
重要なのは、どちらのモデルを使うかではなく、当事者である患者と医療者の対話を促進し、関係を再構築するという医療メディエーションの本質的な目的を見失わないことです。モデルはあくまでもツールであり、状況と当事者のニーズに応じて柔軟に活用することが求められます。両モデルに共通するのは、メディエーターが判断・評価を行わず、当事者自身による問題克服を支援するという姿勢です。
まとめ
医療メディエーションの実践には、理論的な理解と具体的な技法の習得が必要です。謝罪と共感表明の違いを理解し、状況に応じて適切に使い分けることが重要です。問題解決メディエーションのIPI分析は、表面的な対立の背後にある真のニーズを理解するための強力なツールであり、FACE分類によってPositionを整理し、Interestを推測することができます。
一方、ナラティブメディエーションは、社会構成主義に基づき、対話を通じた物語の変容を促すアプローチです。特に死亡事例や解決困難な状況では、このモデルが有効です。コンフリクトの生成モデル(NBCモデル)を理解することで、早期対応と予防が可能になり、コミュニケーションと誤解のメカニズム(AEIOUモデル)を学ぶことで、より効果的な対話促進ができます。
これらの理論と技法は、医療現場の様々な場面で活用できます。日常的な患者対応から医療事故後の対応まで、状況に応じて適切なアプローチを選択し、柔軟に統合することが求められます。医療メディエーターとしての専門性を高めるには、継続的な学習と実践が不可欠です。日本医療メディエーター協会では、これらの理論と技法を体系的に学べる研修プログラムを提供しており、医療現場の対話文化向上に貢献しています。
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